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小さな田舎町から大きな挑戦 〔全4回〕 納賀 良一さん

患者の主体性、技術力など医療をめぐる地域間での隔たり。患者の一人として、その差を目の当たりにし、島根の医療を変えるべく動きだす――。

小さな田舎町から大きな挑戦 〔全4回〕 納賀 良一さん
がん 納賀 良一さん
島根県がん対策推進協議会 委員 益田がんケアサロン 代表

 

原点は大阪と島根の医療格差

―――患者として、がん対策に関わるようになったきっかけを教えてください。

 

2004年に膀胱がんの手術を受けるために大阪府立成人病センターに入院して手術を受けました。成人病センターに行って驚いたのは、患者の意識がものすごく高いことでした。

それまでたびたび島根県益田市の地元の病院に入院してきましたが、そこでは、そこに病院があるから入院した患者さんばかりでした。ところが、成人病センターは、「自分の症状だったらこの病院じゃなきゃいかん」と選んできた患者さんですから、患者のレベルが全然違う。病室で話していて、同じ病気の患者と話していても、医療知識が豊富で医者と話しをしているみたいなんですよ。それも1人や2人ではなくて入院している人みんながそんな感じで。病室にパソコン持ちこみOKだから、人の打っている抗がん剤を調べて、「あんたのこれよ」って教えてくれる。患者のレベルが高いから、ナースも先生もそれに動かされるように働いていて、これはすごいなぁと思いました。そういう患者さんたちに刺激され、「自分で動いて患者教育もしていかないと、島根の医療はよくならない」と実感しました。

その入院中に、新聞やテレビで、癌と共に生きる会会長(当時)だった佐藤均さん(故人)の活動を知ったんです。佐藤さんは、未承認薬の早期承認の署名を集めて厚生労働大臣に請願したり、抗がん剤治療の専門医の育成を求めたりする活動を展開していました。そういった報道を目にしたとき、初めは、「島根にこんな勇気のある人いるはずない。本当だろうか」という気持ちで見ていました。積極的な人の少ない土地柄ですから、ものすごく違和感があったんですよ。

あれが、東京や大阪の人の活動だったら僕もさほど興味を感じなかったのでしょうけど、自分の住んでいる島根であれだけのことをやった人がいたので、僕にとってはものすごく刺激になりましたね。

―――佐藤均さんと面識はあるのでしょうか。

 

会ったこともなければ、電話で話したこともありません。でも、佐藤さんが亡くなられたという報道を目にしたとき、同じ患者として後を継がなければいけないと思いました。あの後を継いで何かしら「僕ができることはしなきゃいかんな」と。会ったこともないのに、自分でも不思議ですが、佐藤さんがやっていることがそれだけすごい偉大なことだったということです。

―――がんとのつきあいはかなり長いそうですね。

 

最初に膀胱がんと診断されたのは1979年ですから、30年くらいになります。 40代のころでした。ある日、血尿が出たんですね。でも原因が全然わからない。そのとき、血尿が出た経験があった義兄が、「血尿というのはすぐ止まるけど、病院へ行ったほうがいい」と何度も言ってくれました。本当に2日後には正常になって、こんなんで病院へ行かなければいけないのかと思いましたが、結局、病院で検査を受けたら膀胱がんでした。義兄には感謝しています。まだ本人には告知しない時代でしたから、女房は1年くらい、がんだということを隠していましたけどね。

そのときは膀胱を取ることは避けたかったので、尿道から膀胱鏡を入れて電気メスで腫瘍を切除するTUR-BT(経尿道的膀胱腫瘍切除術)を受けました。それから20年くらいの間に何度も入院してTURを8回は受けましたね。膀胱を温存するために何とかごまかしてきたのですが、2004年にひどい悪寒が来て、救急車で運ばれました。脳血栓も併発していたのですが、尿管がんで、尿管から腎臓まで悪くなって腎不全になっていることがわかりました。膀胱は前から悪かったので、本当は腎臓と膀胱と一緒に取ったほうがいいと言われたんですよ。でも、2つも取りたくないなと思って、症状が出ている左の腎臓を先に取りました。

ところが、退院するときに、念のため造影剤を入れて膀胱の状態をみてもらったら、本来なら膀胱しか写らないはずなのに、残っている右の腎臓まで写ったんです。ということは腎臓の弁が壊れている。膀胱を取らないと一つしかない腎臓までだめになってしまうと言われました。一度に取ればよかったのに、2回痛い思いをすることになったのですから、あとで考えたら僕の大失敗の一つです。

―――膀胱の手術を島根ではなく、大阪で受けられたのはなぜですか。

腎臓の手術は島根で受けました。でも、島根には膀胱がんの手術をたくさんやっている病院がないのがわかっていましたから、地元の病院で手術を受ける勇気はありませんでした。だから、東京・築地の国立がんセンター中央病院に行ったのです。ところが、がんセンターは手術の予約がいっぱいで6カ月待ちで、「そんなに待てない」といったら、紹介してくれたのが大阪の成人病センターでした。

膀胱がんの場合、手術で膀胱を取った後、尿道を変更する方法が、主に、尿管皮膚瘻、回腸導管、人工膀胱(代用膀胱)造設の3種類ありますが、僕にとって最高にラッキーだったのは、入院患者の中に3種類の手術を受けた人が揃っていたことです。皆さんに聞いて、結局、真ん中の回腸導管増設術を選びました。なぜ真ん中にしたかというと、家に帰って地元の病院でのフォローを考えたときに、その病院で経験のない手術は受けられないと考えたからです。大阪へ行ってわかったことですが、僕が地元でかかっている益田赤十字病院では、回腸導管も年に1例程度で、代用膀胱の症例数はゼロでした。地元でやったことのない手術を受けても誰も面倒みてくれないわけですよ。

もし、僕が大阪に住んでいたら当然、手術の難易度は高いけれども自分で排尿できる代用膀胱を選んでいます。せっかく大阪へ行ったのに、住んでいるのは島根県益田市だから、地元に合わせて受ける手術の内容はグレードを落とさなければならなかったんですから、そのときは悔しかったですよ。医療レベルの差のつけを何で患者に回すのかと思いました。自分たちのレベルが低いのに、そのつけを患者に回してそれでいいはずないですよね。




納賀 良一(のうが りょういち) さん

医療格差を痛感した自身の大阪での手術を経て、島根の医療意識の向上及び患者の不安解消のため、 2005年に島根がんケアサロンを立ち上げ、代表に就任する。これまでに21か所にがんサロンを開設。現在は、がんのみならず、地域医療を含め幅広く活動を展開。島根県がん対策推進協議会委員。地域医療運営委員会委員。

更新日:2009年08月31日

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