声を届ける 〔全3回〕 若尾 直子さん
乳がん告知を受けてさまざまな不安に直面する中で、患者会の必要性を感じ、山梨で患者アドボカシー活動を始める――。
若尾 直子さん- 山梨県がん対策推進協議会 委員
乳がんの告知で患者のニーズを知る
―――患者アドボカシー活動を開始されたきっかけはなんでしょうか?
2001年乳がんの告知を受けたことが、そもそものきっかけです。まさか自分がという気持ちの中、自分のすべきことがあっという間に決まり、手術もその月に決まりました。その手術までの間が自分にとってとても長い時間だったことを覚えています。自分で選んだ全摘や乳房再建の選択は正しかったか、来年生きているだろうか、どうなってしまうのだろう、乳がんとは何だろう。具体的なことがわからなくて不安でした。本やインターネットで、良い医者、良い技術など調べることはできたけれど、私のした決断が適切だったのか教えてくれる情報はありません。私は来年にはどんな生活をしているのかさえわかりませんでした。患者会も調べ、メールもしましたが、実際に私に会って話を聞いてくれる患者会が山梨にはありませんでした。年々患者が増え、山梨だけでも何百人にもなるのに、なぜお互いの顔が見えないのだろうかと思い、そのとき、私は山梨に患者会が必要だと思ったのです。
手術後、1か月ほどの病院生活を経て退院しました。病院のスタッフにおめでとうと言われましたけれど、私はちっとも喜べませんでした。家では医療者がそばに居てくれるわけではない、私は役に立たないお母さんになってしまうでしょうし、身近な相談相手もいなくなります。むしろ退院したくありませんでした。そんな時に必要だったのは、同じ状態の人と話すことだったのです。私は、病院で体が治ったから退院するだけでなく、心をケアしてくれる話し合える場所も必要なのではないかと思ったのです。無いなら私が作るしかないのかなと漠然と思いました。
患者会設立
患者会をつくることは、建物を建てるぐらい大変だと思っており、実際に設立方法も何が必要かもわからず、思うようにいきませんでした。同時に、自身の退院後の生活も順調でなかったことも重なっていました。それでも、仕事の傍ら、甲府市の女性市民会議に参加しはじめました。同じような意識を持った参加者たちと女性の立場からいろんな事を学べたと思います。2年間終わった時に、私の気持ちがわかってくれそうな人をみつけ、自分が乳がんであることを打ち明けました。協力してくれる人たちの支えを受け「まんまくらぶ」がスタートしたのです。
―――どんな活動をされていましたか?
まず一つ目は、情報の収集です。私の時は何もわからず不安でした。同じような立場の人の声を聞きたい、その人たちは1年後どう過ごし、生活や仕事をしているのか知りたいと思いました。また、話を聞いてあげることで患者の不安な気持ちを取り除いてあげたかったのです。二つ目に、情報の発信をしていきました。ピアカウンセリングで不安に思う気持ちや経験を話し合うこと。また、インターネットが不得意な人のために、お便りを作り郵送もして、より多くの人に情報を伝えていくことに努めてきました。
若尾 直子(わかお なおこ) さん
自身の乳がん体験を機に、有志と共に乳がん患者会「山梨まんまくらぶ」を設立、代表就任。 山梨県がん対策推進協議会委員であり、2006年よりNPO法人がん患者団体支援機構理事を務める。山梨がんフォーラム実行委員会会長として、今年で3回目となる山梨がんフォーラムを主催。NPO法人山梨県ボランティア協会理事。地方独立行政法人県立病院機構評価委員。
更新日:2009年08月31日


