患者力の活用を訴えて 〔全3回〕 松本 陽子さん
19歳のとき父親をがんで亡くしたことがきっかけでがんの問題に向き合うことに。NHKのアナウンサーになって、愛媛県の医療・福祉を徹底取材。33歳で自分も子宮頸がんになり、県のがん対策計画を作って見えてきたものは――。
松本 陽子さん- 愛媛県がん診療連携協議会 委員 愛媛がん患者・家族会おれんじの会 代表
アナウンサーとしてがん医療を変えようとしていた時代も
―― どういうことをきっかけに、患者として、がん医療を動かそうと考えるようになりましたか。
もともとは、19歳のときに父親をがんで亡くしたのがきっかけです。父が亡くなるまで過ごした最期の日々の強い後悔が原動力になっています。
その後、番組付きアナウンサーとしてNHK松山放送局で仕事を始めました。。そのとき、たまたま松山局に、医療系のディレクターがいました。そのディレクターは難病で、車椅子で仕事を続けていたのですが、「医療界を変えられるのは医療者だけじゃない。メディアにもできることはある」と教えてくれたんですね。そのディレクターの知恵と力を借りたりもしながら、かなりたくさん、医療関係の取材や番組作りをしました。
メディアの側から医療に向き合おうとがんばっていたのですが、1999年に、今度は自分に子宮頸がんが見つかり手術と化学療法を受けました。当時、33歳でした。Ib期で、今考えれば、それほど大げさに考える必要はなかったのかもしれませんが、人生の残り時間がどのくらいあるかわからないときに、仕事に追われてお金儲けしている場合じゃないだろうと考え、NHKでのレギュラー番組を降り仕事をペースダウンしました。
自身の支えとなった患者力の活用を訴える
がんの治療中、私はずい分、先輩患者さんのお世話になりました。一緒に入院していた人たちで、少し治療が先に進んでいた方たちから、いろいろアドバイスしてもらってずい分助かりましたし、それが精神的な支えになったのです。たとえば、「抗がん剤治療が終わって最初にお手洗いに立って歩くときには、ガーグルケース持って歩かないと途中で吐くよ」、「初めてシャンプーするときはスーパーの袋持って行かないと、抜けた髪で大変だよ。そのときは絶対泣くからね。でも、泣いていいんだよ」などというのは、経験者にしかわからない情報ですよね。
そういった患者力をいつか生かしたいと思いながら、なかなか形にならないでいたところに、県のがん対策推進計画検討委員会の委員長になられた四国がんセンター院長の高嶋成光先生から患者委員にならないかという依頼をいただきました。私が治療を受けたのも四国がんセンターですし、NHK時代、がんセンターは取材対象でした。その後もフリーのアナウンサーとして、市民向けの公開講座など医療系のイベントの司会を担当することも多かったので、高嶋先生ともお会いする機会は多かったんですね。
―― 依頼を受けたときには、すぐに引き受けようと思いましたか。
もちろんです。患者の声を行政に反映させるのは当然の権利だと思っていましたから、即、引き受けました。そして、委員会に参加する際には、何がいまのがん医療に足りないのか、毎回資料を提出し、相当意見を言いました。
特に強調したのが「患者力の活用」です。前述のように、私自身、たくさんの先輩患者に支えられました。経験した人でないとわからない精神的なつらさや、抗がん剤治療を乗り切る生活上の工夫は、医療者や家族の支援だけでは与えられないものなんですよね。そういうものを受け取った、今度は私が次の人に伝えていく番だと思っていたので、そういった「患者力の活用」をぜひ県の計画に盛り込んでほしいと主張しました。その部分は、少しは盛り込んでもらえたと考えています。
患者委員の視点から
―― 愛媛県のがん対策基本計画をどう評価されていますか。
今後の期待をこめて少し辛口で言えば、60点くらいです。50点を合格点とすれば、そのラインは一応超えていますが、私から見ると問題点が二つあります。
一つは、数値目標がほとんど盛り込まれなかったことです。いろいろなことが、「○○するように努める」と努力文言でとどまってしまい、「○○します」といった宣言になりませんでした。もう一つは、愛媛県ならではの独自性が盛り込まれなかったことです。これは今後の課題だと思います。
逆に評価できる点は、がん検診の受診を呼びかけたりするような「がん対策推進員」の設置が決まった点です。また、「患者団体等の経験を活かし…」という文言が入って、患者力を多少なりとも活用する道が開けました。
―― 患者委員としてどのようなことに一番苦労されましたか。
県のがん対策推進協議会委員は全部で18人でした。そのうち、患者委員は、私と、乳がんの患者会である、あけぼの会愛媛県支部長の2人だけで、残り16人が、医療者や行政で、いわゆるがん対策のプロでした。その中で、患者である私の意見をいかに聞いてもらうには、数字の裏づけをきちんと取って、資料を出さなければ太刀打ちできません。ほかの県の計画の素案を読んだり、いろいろなデータを引っ張ってきたりしながら、提案型の資料を出しましたが、毎回資料を作るのは非常に大変でした。
松本 陽子(まつもと ようこ) さん
父親をがんで亡くし、自身もがんを経験したことがきっかけで、がん医療における患者の声の重要性を痛感。その後、NPO法人愛媛がんサポートおれんじの会を設立し、理事長として精力的に活動。愛媛県がん対策推進計画検討委員会委員。愛媛県がん診療連携協議会委員。文芸誌「ぽあん」に“生と死を見つめる”をテーマに連載中(2000年~ 年2回発行)
更新日:2009年08月31日


