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はじまりは家族の絆から 〔全4回〕 海辺 陽子さん

自分が大学生の時、父をがんで亡くし、また現在は母ががん患者となった。家族をがんに奪われたくない。懸命に治療を模索し、そこで感じた医療者との壁―――

はじまりは家族の絆から 〔全4回〕 海辺 陽子さん
がん 海辺 陽子さん
がん対策推進協議会 委員 癌と共に生きる会 事務局長

患者家族として、がんと出会う。

―――がん対策に関わるようになられたきっかけについてお話いただけますか。

私は父をがんで亡くし、母ががん患者ですので、患者家族としてがん対策に関わりはじめました。父が亡くなったのは私が大学生の頃です。私が中学生ぐらいの頃、最初は喉頭のポリープということで対応していました。その時点から、放っておくと必ずがんになるような悪性度の高いものとは言われていたようですが、当時の手術方式では完全に声を失うことになるため、仕事ができなくなることを危惧し、全摘はしませんでした。

そうこうしているうちに、具合が悪くなって入院というのを繰り返し、最終的には全摘したのですが、時すでに遅く、転移が進んでおり、その摘出手術から一年もしないうちに亡くなってしまいました。手術をしたときには、「見えるがんは全てとりました」と言われ、その時には素直に良かったと思っていたのですが、結局「見えるがんは全て取った」というのは、「見えないがん」は残っているかもしれないということですね。

患者会活動に入ることになった直接のきっかけは母の胃がんの発病です。それが2004年の春です。最初の段階の診断では、映像で見る限り明確な転移はないし、リンパ節や肝臓の影・腫れもないので手術すれば元気になるということでした。進行度から言うと、II期から悪くてもIII Aぐらいかというような安易な気持ちでおりましたら、手術を終えるとIV期ですと言われ、愕然としました。そして、そのときもまた言われたのが「見えるものは全部取りました」ということです。その際は、それは見えないものがたくさんある可能性が高いということだと考え、かなり焦って色々調べました。そして調べれば調べるほど、この時点でこれを知っておきたかったというような情報が出てきました。

医療者の方はおそらくは最初の時点からIIIBか悪ければIV期と考えておられたと思います。しかし、なるべく患者を傷つけまいと配慮され、II期かIII期かという風に説明されたのでしょう。患者を慮ってというのは非常に理解できるのですが、現実にそれを受け入れなければならない日はすぐに迫っていますし、事実そのものがショックなのですから、その情報を隠してもしょうがないと思います。また治療過程で選択肢が明らかにされないままに選んだ治療で、あとから振り返ると実はこんな選択肢がありましたよ、と言われるのはちょっと割り切れない思いがしました。

結局、母は副作用を抑えた形で抗がん剤治療を受けることができ、結果として3年経った今も非常に元気で、食事もきちんと摂れていますし、本当に普通の生活を維持しています。

患者会活動を開始

―――その抗がん剤治療を受ける過程で、患者会活動を始められたのですね。

そうです。毎日毎日病院にお見舞いに行き、子供を寝かした後に、インターネットに張り付いて情報収集をしていました。母が患った進行がんの治療については、健康食品のようなものしか情報がなく、こういう方法がありますという具体的な提示がされていたのは平岩先生という方が主宰されている「がんのweb相談室」くらいでした。どの本を読んでも、がんかなと思ったらこういう検査があります、手術はこういうもので、こういう経過を取りますといった形で比較的早期で治る見込みの高い方の希望がまず前面に出てきます。一方III期、IV期について触れているものは多くありませんでした。そんな当時、私がバイブルのようにしていたのが、東札幌病院の石谷先生という方が書いておられた「がんが再発・転移した方へ ~不安と疑問に答えます」という本です。本当に心理的な部分から、看取りから、まさにこういう本が欲しいのだと思うことが書いてありました。

たとえ治すのは無理だと言われても、患者や家族にとっては、地球の裏側に治療法があるというのであれば、何とかしてそれを試してみたいと思います。100%助からないとおっしゃる先生よりは、10%の希望にかけてみましょうとおっしゃる先生にこそ診てもらいたいと思いますけれども、なかなかそういう先生に巡り会えておりませんでした。一年以内に9割方再発するだろうと思っている際に、「再発したらいらっしゃい」と、それが自分の親なら放置できるだろうか、とか医者に対して疑問と不満を感じていました。

手術から半年ぐらい経ちまして、「腫瘍マーカーが上がってきているらしい」と母がいうので、改めて病院を探し、「がんのweb相談室」に書き込みもしました。その流れで、結局平岩先生に直接会ってお話を伺おうと考え、月島の中央サマリア病院まで足を運びました。受診前は、平岩先生の患者になるという選択肢は全く考えておらず、できればいい先生を紹介してもらおうと思っていたのですが、診察で母の病状について平岩先生が説明下さった後、「で、今日は何をしにいらしたのですか」とおっしゃったので、私どもが置かれている状況を説明した結果、最終的には平岩先生に直接診ていただけることになりました。その代わり「私の患者は、日本のがん医療を良くするために色々頑張っている患者たちなので、あなたは何ができますか。」といわれ、「やれることは何でもやります」と申し上げたのがはじまりです。

―――では、その頃から患者会「癌と共に生きる会」に参加されたわけですね。

参加した当時は何でもしますというスタンスで活動しており、相棒の役員の方と二人三脚で一生懸命資料をもって議員会館を回っていましたね。割合熱心だったのと、時間的にも都合がつくので集まりにはまめに参加していました。すると、「あのひとに役員になってもらおう」というような話が当時の役員さんの中であったみたいです。ちょうどタイミングよく事務所として住所を提供してくださいという話があり、それで事務所とともに事務局長という肩書きももれなくついてきたというような具合です(笑)。



◆癌と共に生きる会のHPはこちら



海辺 陽子(うみべ ようこ) さん


母のがん闘病を機に、がん政策の改善を呼びかける医師とその患者会である「癌と共に生きる会」に出会う。現在は事務局長として精力的に活動。がん対策推進協議会委員。がん対策情報センター運営評議会委員。

更新日:2009年08月31日

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